放射線被ばく
国連科学委員会(UNSCEAR)
健康影響
「原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)」は、1955年の国連総会決議に基づいて設置された総会直属の委員会です。放射線による人や環境への影響に関する学術的データを調査、収集して報告書を作成し、国連加盟国に提供しています。報告書は定期的に出版され、放射線防護を検討する際の学術的情報を提供する重要な役割を果たしています。1986年のチェルノブイリ原子力発電所(以後、チェルノブイリ原発)事故では、放射線被ばくの影響で小児甲状腺がんが増えたと結論づけました。
福島第一原子力発電所(以後、福島第一原発)事故に関しては、2014年に「UNSCEAR 2013報告書」が発表され、2011年3月に発生した事故による放射線被ばくレベルと被ばくによる人の健康影響、及び人以外の生物相への影響に関して得られた知見が公表されました。
その後今日までに、主に線量推定に関する相当量の新しい情報が入手可能になり、被ばく線量に関する不確実性を少なくした推定ができるようになったことから、最新の知見を反映して被ばく線量を再推定した「UNSCEAR 2020報告書」が2021年3月に発表されました。ここでは、「UNSCEAR 2020報告書」において、福島第一原発事故の放射線被ばくによる健康影響に関して、どのような新しい知見が公表されたのかを中心に解説します。
放射線による健康影響は、放射線防護の観点から、(a)確率的影響、および(b)確定的影響(組織反応)の2種類に分類されます(表1)。確率的影響は発がんと遺伝的影響の2つだけであり、その他の全ての放射線影響は確定的影響(組織反応)になります。
(a) 確率的影響と(b) 確定的影響(組織反応)の主な相違は次の2点です(表1)。
(1)しきい線量の有無:しきい線量とは、同じ線量を多数の人が被ばくしたときに、全体の1%の人に症状が現れる線量です。しきい線量は、確定的影響(組織反応)にはありますが、確率的影響にはないという考え方が採用されています。
(2)線量増加に伴う影響の変化:確定的影響(組織反応)は、線量増加に伴い発生率とともに重症度も増加します。これに対して確率的影響は、線量増加に伴い発生率は増加しますが重症度は変わりません。
被ばく線量がしきい線量より少ない場合は、確定的影響(組織反応)を心配する必要はありません。したがって、低線量被ばくの健康影響で注目される主題は、発がんリスクが増加するのかどうかになります。
表1 放射線による健康影響の分類と特徴
種類 | 例示 | しきい線量 | 線量増加に伴う変化 |
---|---|---|---|
確率的影響 | 発がん 遺伝的影響 |
存在しない | 発生率の増加 |
確定的影響 (組織反応) |
白内障 不妊 脱毛 皮膚炎など |
存在する | 発生率の増加 重症度の増加 |
国連科学委員会の「2020年報告書」では、線量推定値は見直され、事故後1年間の甲状腺吸収線量1)は、1歳児で最大30mGy(ミリグレイ)、10歳児で最大22mGy、さらに成人では最大15mGyと推定されています。これらの推定値は、「2013年報告書」で発表されたものの半分以下の値です。さらに、事故後1年間の福島県全体の成人の平均実効線量2)については、「2013年報告書」で示された値よりも数十%低くなり、5.5mSv(ミリシーベルト)以下になると推定しています。
健康影響については、放射線で誘発されやすい悪性腫瘍である白血病、甲状腺がん、及び女性乳がんと、さらに全ての固形がんの生涯にわたるリスクに関する「2013年報告書」の内容について再検討しました。その結果、「2020年報告書」では、福島県民の甲状腺がんリスクについて、検討したどの年齢層においても増加は見られない可能性が高いと結論づけています。その理由には、(a)最新の知見を反映した被ばく推定線量が、チェルノブイリ原発事故被災者の被ばく推定線量よりかなり低いこと、さらに、(b)チェルノブイリ原発事故では、事故時5歳以下の幼児に年数経過とともに甲状腺がん発生増加が見られたのに対し、福島第一原発事故では見られないことなどがあげられます。
一方、原発事故時に18歳以下であった福島県民約30万人を対象にした甲状腺がんのスクリーニング検査では、甲状腺がんの検出割合が過去の研究で報告されていた割合より高いことがわかりました。「2020年報告書」では、この甲状腺がんの発生増加は、放射線被ばくとは関係がなく、むしろ高感度で精度が高い超音波スクリーニング技法がもたらした結果であり、生涯発症しないがんを診断した過剰診断の可能性が高いという見解を示しています。実際に、韓国、その他の国で広範な集団超音波検査によるスクリーニングを導入したところ、甲状腺がんの発生率が大幅に増加しましたが、死亡率は増加しなかったことが報告されています。
さらに、甲状腺がん発生率と被ばく線量との関係については、複数の研究調査の結果、被ばく線量増加に伴う甲状腺がん発生率について、統計学的に有意な増加はみられませんでした。甲状腺がん以外の悪性腫瘍についても、小児白血病や成人白血病の発生率が福島県民の間で増加したという報告はありません。さらに、国連科学委員会は、福島県成人の事故後1年間の推定平均実効線量2)が5.5mSv以下と低いため、放射線被ばくによる乳がんやその他の固形がんの発生率の明らかな増加はないだろうと判断しています。
発がん以外の健康影響についてですが、事故の前後数ヶ月間の様々な妊娠時有害事象の発生率について調べた結果、死産、早産、低出生体重児、先天異常の発生率の増加を示す確かな証拠は得られていません。さらに、胎内被ばく者の吸収線量1)(赤色骨髄線量)の平均被ばく線量が2mGy未満と推定されることから、国連科学委員会は、出生前の被ばくによって20歳までに発生する小児白血病やその他の小児がんの発生率が増加することはないと判断しています。
「2020年報告書」において、福島第一原発事故による被ばく線量を再検討した結果、福島県民の推定被ばく線量は「2013年報告書」よりかなり低減化されることがわかりました。それを元に同報告書は、今後の生涯発がんリスクが増加することはないだろうと結論づけています。しかし、一方で、避難に関連した影響として、避難者に高血圧、脂質異常症、糖尿病などの有病率が、非避難者に比べて増加したことが指摘されています。増加したこれらの健康影響は、放射線被ばくの影響というよりも、災害や避難に伴う生活習慣や心理的ストレスの変化を反映していると推定され、今後、被災に伴う課題として対策が望まれる問題です。
1)吸収線量:臓器や組織、あるいは体全体が放射線から受け取ったエネルギー量に基づいて決められる線量で、単位は、Gy(グレイ)を用います。臓器・組織が、1kgあたり1J(ジュール)のエネルギーを放射線から受け取ったときに、吸収線量は1Gyであると言います。1mGy(ミリグレイ)は、1Gyの1000分の1を表します。
2)実効線量:放射線防護における被ばく管理のために考案された線量で、確率的影響の評価に用います。吸収線量を元に、放射線の種類やエネルギー、さらに各臓器・組織の確率的影響に対する感受性を考慮して決められた係数で重み付けして得られる線量です。単位は、Sv(シーベルト)を用います。1mSv(ミリシーベルト)は、1Svの1000分の1を表します。
提供
大阪府立大学 放射線研究センター
児玉 靖司 教授
URL:http://chokai.riast.osakafu-u.ac.jp/~housya6/home.html